このごろ評判の『「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたか』(開沼博、青土社2011年)を読みました。著者は、福島県いわき市出身で、社会学者です。震災後に書かれた論文ではなく、それほど注目されない話題であった「原子力」の問題を社会学的アプローチで、丹念なフィールド調査をもとに書かれた著者の修論だそうです。修論審査を終えたあとに、震災が起こり、補論を加えて刊行されたものです。
読後、いろいろな評者がすでに書かれていたように、こういう著書が出て、それを読めたことは、本当に奇跡的だなあということです。まさに、震災後の私が、俄に知りたかった問いが、すでにある考察として出されていたのはありがたいことでした。
分析の視点などいろいろ考えることはありますが、何より、震災後に書かれた補論が印象的でした。
以下、抜き書きします。
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また別の原発労働者の家族は「原発には動いてもらわないと困るんです」と声を振り絞る。あのなかでは一万人以上の人が働いていた。その人たちの仕事がなくなってしまえば生まれ育った地に戻る必然性はなくなってしまう。それだけは避けたい。この切実さは四〇年以上の歳月を経て築かれてきた原子力ムラの歴史を踏まえれば当然のことだった。「偶然表出したリスク」と「食っていかなければならない必然」の天秤が時間の経過とともに元に戻りつつある。原子力ムラの人々は、形が多少変わろうとも原子力ムラでの生活に戻ろうとしている。(372)
原発の危険性をあえて報じようとせず「安全・安心」の大本営発表を垂れ流す旧来型マスメディアへの批判は既にあり、それは今後も追及されるべき点であろう。しかし、一方で、圧倒的な「善意」「善き社会の設立」に向けられているはずの「脱原発のうねり」もまた何かをとらえつつ、他方で何かを見落としていることを指摘せざるを得ない。原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。そして、その圧倒的ジレンマのなかに原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごされていることにこそ最大の問題がある。とりあえずリアリストぶって原発を擁護してみる(ものの事態の進展とともに引っ込みがつかなくなり泥沼にはまる)か、恐怖から逃げ出すことに必死で苦し紛れに「ニワカ脱原発派」になるか。3・11以前には福島にも何の興味もなかった「知識人」の虚妄と醜態こそあぶり出されなければならない。それが、四〇年も動き続ける「他の原発に比べて明らかにボロくてびっくりした」(前出、三〇代の作業員)福島原発を今日まで生きながらえさせ、そして3・11を引き起こしたことは確かなのだから。
かつて原子力ムラが平穏だった時、富岡町の住民の口から聞いた言葉が甦る。「東京の人は普段は何にも関心がないのに、なんかあるとすぐ危ない危ないって大騒ぎするんだから。一番落ち着いているのは地元の私たちですから。ほっといてくださいって思います。」‥(中略)
中央は原子力ムラを今もほっておきながら、大騒ぎしている。(372-373)
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脱原発という身振りはできても、だから私はどうしたらいいのかというところで、言葉にしがたいもどかしいものが、ここで的確に指摘されています。
ひとつ、「3・11以前には福島にも何の興味もなかった「知識人」の虚妄と醜態こそあぶり出されなければならない。それが、四〇年も動き続ける「他の原発に比べて明らかにボロくてびっくりした」(前出、三〇代の作業員)福島原発を今日まで生きながらえさせ、そして3・11を引き起こしたことは確かなのだから。」は、確かにその通りだ。
とはいえ、生身の身体の私たちは、そのときどきの拡張された身体に直接かかわる以上のものに、関心をもてないのはある意味で、仕方のないことだ。それが生身の限界であり、人間を空論の暴走から守るものでもあるはずだ。それを踏まえた上で、自分の身体を拡張していく想像力を錬磨していくことが必要であることがわかるが、ではどうしたら想像力を錬磨できるのか。3・11以前のフクシマにいかにして関心をもつことが可能だったのか、という点が、私の中の問題点として残る。
まさに、私がぶつかるところが、いつもここだなあという感じです。
次に引用するところは、これもまさにこのところよく思っていた問題点のツボです。
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つまり、今出ている議論(東電・管政権叩きや多重下請け構造による労働システム:萩原注)には何の新規性もないし、ことが起こる前に、これまでの幾度かの大小様々な事故等の機会に議論されるべきことであった。しかし、社会は常にそのきっかけを、一旦は多少の熱狂があったのかもしれないが、見過ごしてきたし、それ故に3・11に至ったことは明らかだ。
問題はもはや「新規性のない議論」自体にはない。その新規性のない議論をあたかもそれさえ解決すれば全てがうまくいくかの如く熱狂し、そしてその熱狂を消費して行く社会のあり様にこそ問題がある。3・11以前に、原子力をその基盤としつつ無意識に追いやっていた社会は、意識化された原子力を再び無意識のなかに押し込めることに向かいながら時間を費やしている。
私たちは生モノが腐敗しきるのをただ座して待つことを避けなければならない。すなわち「生モノ」の議論から離れ、保存可能な「忘却」に絶えうる視座を獲得し社会を見通すことを目指さなければならない。(373-374)
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そうなんですよね。熱狂と忘却。新規な話題に熱狂し、しばらくのちに忘れていく。忘却に耐え得る視座が必要なんですよね。開沼氏は、沖縄の問題に関して、次の様にいう。
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民主党が政権獲得時に示したマニフェストを完全に反古にした沖縄米軍基地問題。‥
これは完全な想像であるが、しかし大きな誤りはないだろう。沖縄にあったものは、圧倒的な既視感だった。ひと時は熱狂のなかで手を差し伸べてきた人々から一転して見捨てられる。一時の熱狂のなかで関心を向け。そしてごくわずかな時間でその関心は全く別のものへと移っていく。沖縄は本土、中央の安全・安心のための担保として利用されているだけではなく、熱狂の消費の対象としても、いわば二重に利用されてきた。「もううんざりだ。こうなるんならば初めから手なんか差し伸べなければいいのに」と、怒るわけでもなく、諦念とともに思った人もいたかもしれない。これは歴史上幾度も繰り返されてきたことだったのだから。そして、その熱狂の消費を稼働させてきたメカニズムは圧倒的な「善意」に他ならないのだから。ここに、私たちは戦争・成長の不変とその暗部を読み取り、それがまた忘却されていこうとしている現実に抗うことを改めて強く意識し続けなければならない。(380)
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そう、「善き社会設立」を当事者と離れた「中央」は「善意」から願うのだが、しばらくのちにそれも忘却に追いやられ、新規な熱狂を消費していく。その忘却の底に潜むものが何か、それに注視する胆力を、我々はなかなか持つことができない。
著者は、「中央」から離れて、当事者たちの声が聞こえる場所で、丹念に耳を傾けてきた。そこで積み上げられてきたものが、この本の揺るぎない言葉の重みと価値である。
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もう東京では半袖で歩く人が多い頃、まだ灯油ストーブが片付けられていない村役場前の民宿に泊まりながら聞いてまわった話と目にした光景は、己がそれまで身を浸してきた陳腐すぎる象徴化も、稚拙すぎる想像力も、とうてい捉えきることを許さないものを突きつけてきた。それは、まるで安全である「かのように」振舞いあうことによって担保される「原子力ムラの神話」によって危うくも「幸せ」な生活を続ける現在の、そして、彼らの「子や孫が残って暮らせる」という夢がある面で叶い、そしてある面で完全に原子力に浸食されることになる未来のムラの圧倒的なリアリティに他ならなかった。そこから「植民地」を連想するのは困難なことではなかったし、また、「植民地」を切り口とした考察が一つの形を整えた今、それが「発想の飛躍」ではなかったことを確信している。
「良心」や「善き社会設立」への意志はこのリアリティにこそ向けられなければならない。少なくとも、当事者の語ることに耳を傾けともにあることから遅かれ早かれ逃げ出すような者の為すことは、真の当事者にとっては、影響が無いどころか迷惑ですらある。サイバースペースで民主主義が達成できるなどと夢想することもいいが、いくら社会の隅々まで複雑なネットワークが形成されようと、そのどこを探しても放射線などない。人が集まったなら国道六号線をただひたすら北上すればよい。「国土の均衡ある発展」を目指した挙句に誕生した田畑と荒地にパチンコ屋と消費者金融とATMが並ぶ道。住居と子どもの養育以外に費やしうる可処分所得をつぎ込んでデコレーションされた車。郊外巨大「駐車場」量販店と引き換えのシャッター街のなかには具体例をあげるのも憚れるあまりにどうしようもないネーミングセンスで名づけられた再開発ビル。その中で淡々と営まれる日常。(383)
‥成長を支えてきた「植民地」の風景は「善意」ある「中央」の人間にとってあまりに豊穣であるはずだ。
信心を捨て、そこにこぼれるリアリティに向きあわなければならない。希望はその線分の延長線上にのみ存在する。(384)
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本書は以上のように結ばれる。
その通り、忘却しつつ夢見る私たちは「信心」の中で、安寧を享受しているのかもしれない。そして、そこからこぼれるリアリティに向き合うのは、いかにして可能なのだろう。
重みのある豊かなことばの数々だった。